第II部 ・ 第5章
「戦略」と銘打たれた文書の多くは、整理されたアイデアの体系ではなく、雑多な思いつきの寄せ集めにすぎない。内容が豊かでも、読み手がそこから方針を読み取れないなら戦略として機能しない。多くのエンジニアが「自社には戦略がない」と感じる主因はここにある。実際には、明文化されていなくても、すべての組織は何らかの戦略に従って動いてはいるのだが、その戦略が暗黙で曖昧なために共有も改善もできない状態に陥っている。
本章の目的は、戦略策定を再現可能な手順に落とし込むことにある。著者は戦略づくりを5つのステップに分け、それぞれを後続の章で掘り下げる。重要なのは、多くの人が「取り組みにくい」「難しい」と感じて飛ばしがちなステップ(特に診断や洗練)を、回避せずに乗り越える方法を示す点だ。また、これらのステップに忠実に従うべき場面と、状況に応じて調整してよい場面を見分ける判断軸も提示される。
5つのステップは、(1) 探究=業界全体のアイデアや最新の研究知見を幅広く調べ、自分のアプローチが時代遅れになっていないか確かめる、(2) 診断=自分たちが抱える課題の文脈・制約・困難を、解決を急がず正確に理解する、(3) 洗練=戦略テストやシステムモデリング、Wardley マップなどで案を検証・研ぎ澄ます、(4) 方針=診断を踏まえて具体的な意思決定と指針を定める、(5) 運用=方針を日々の意思決定に組み込み、機能し続けるメカニズムを整える、という流れになる。
結論から言えば、このステップ構成は守るべき規範ではなく、思考を助けるための道具のひとつにすぎない。戦略文書をゼロから書くのは難しいため、テンプレートや定型の枠組みは出発点として有用だ。だが枠組みを過度に神聖視すると、本来は判断を助けるはずのテンプレートが、形式を埋めること自体が目的化した「形骸化した文書」を生み出す原因になってしまう。
良いテンプレートの条件は、それに主体的な責任を持つ担当者がいること、そしてその担当者が「あれもこれも」と各方面の要求を盛り込むのではなく、使う人を第一に考えて設計していることだ。セキュリティ・コンプライアンス・コストはどれも重要な観点だが、多くの組織はこれらをめぐる要求を1つの文書に詰め込みすぎ、書くこと自体が割に合わない苦行にしてしまっている。
著者の最も実践的な助言は「自分が何の要素を削っているのか理解できているなら、邪魔になっている構成要素はどんどん捨ててよい」というものだ。例えば、しっくりくる運用メカニズムが見つからないなら、そのセクションは省いて構わない。戦略は固定された構成要素の集合ではなく、各セクションの背後にある考え方こそが本質である。この点は第11章でさらに掘り下げられる。
本章は、戦略づくりの基本的なステップを概観する地図の役割を果たす。ここから先は2通りの読み方ができる。第IV部の戦略ケーススタディを通じて具体例から細部に踏み込んでいく道と、次章以降の「探究がどのように効果的な戦略の土台を形作るか」といった高い視座の議論を順に追っていく道だ。
どちらから読み始めても構わないが、最終的には両方を通読し、戦略の全体像をつかむことが推奨される。ステップの順序や構成は手段であって目的ではない、という姿勢を保ちながら読み進めるとよい。